欧州サッカー2000年9-12月情報
アーセナル-レアルマドリッドチケット
欧州サッカー、日本代表の最新情報は当社ブログへ→
2000年12月号最終記事
スペインの名門アトレチコ・マドリードのアジア戦略
アトレチコマドリードは知る人ぞ知るスペインの名門クラブ。1903年創立。本拠地は5万7500人収容のビセンテ・カルデロンスタジアムです。リーグ優勝が9回。加えて国王杯が9回、ウイナーズカップ1回などの蒼々たる優勝を誇る、本当の名門チームなのです。昨シーズンは何とリーグ戦19位に甘んじ、よもやの2部降燻るようなチームではないのです。そのチーム改造計画として浮上しているのがイタリアセリエA、ASローマの中田選手のアトレチコマドリードの獲得作戦なのです。当地の地元紙「アス」の報道が日本のスポーツ新聞に掲載されらところによれば「来季1部に昇格したら来年6月にも中田を獲得 。プレシーズンにアジア諸国を遠征して試合を行うだろう」と報じられたのです。ラドミール・アンティッチ監督は昨シーズンより中田獲得に興味を持ち、打診しているとの噂があったのですが、昨年は法貨で約18億円の移籍料がネックとなり断念していたのです。1部リーグ復帰を果たして中田を移籍させての話題作り、且つ戦力アップを図っての一石二鳥を狙っているのです。この獲得資金もテレビの放映権やチームグッズの販売によりねん出出来ると計算しているのです。アトレチコは現在2部リーグ。成績は今一つの13位に低迷しています。ただし1部昇格ラインの3位には充分届く圏内におり、これから本格化する水面下の行動に注目が集まっています。そのアトレチコがガンバ大阪のンソ監督が稲本のプレーをビデオで見て気に入り数日中にもスペインに来て練習する」という具体的ではありますが本当かどうかは今一つ疑問の報道なのです。いずれにしてもこの報道は稲本選手の契約スポーツメーカーのナイキが、アトレチコのスポンサーになることがこの話題の元になったのではと推測されています。しかし、稲本選手は左ひざ内側側副じん帯損傷の怪我をしており、この報道やはり眉唾ではと日本国内ではささやかれています。しかし一つだけ言えるのは各欧州サッカークラブはまだまだ選手の価格が安いアジアの一流選手に注目し始め、そして日韓ワールドカップの開催決定により、アジアへ目を向け始め、そしてアジアでのサッカー熱の定着によりアジアでのビジネス展開を考えているということなのです。お金のある一流クラブは既に成熟した、或いは成熟し始めた高額の欧州や南米の選手獲得に動く事が出来ますが、お金のないクラブ、弱小クラブはそれは無理。安くて実力をつくつつある日本、中国、そして韓国の選手たちに食指を動かし始めているのです。中田や稲本だけではなく、これからは海外移籍組が徐々に増えることは間違いなさそうですね。
2000年12月号記事
ロンドン通信『ロンドンの乙女セリエA観戦記 第2部』
皆様お久しぶりです。ロンドンの乙女は11月にミラノでのセリエ観戦を目指して全ての手配を終えていたのです。ところが皆様へはお伝えしておりませんでしたが、兄弟が急に結婚することになったり、ビザに関して急に提出書類が必要になったりで、強行軍の帰国(約4日間)をしたりして遂に11月の観戦は諦めるより仕方がありませんでした。ところがこの手配し終えたものを全てキャンセルすれば100%ペナルティー、つまり全額キャンセル代として掛かってしまうのです。貧乏な私にとってはこれは大問題。苦肉の策として延期という形をとり、再度12月に出発の運びとなった訳です。という訳でロンドン/ミラン(ミラノ)をBA-英国航空にて移動。朝には弱い乙女は目覚まし時計を3個掛けて、やっと起床する有り様で、何とか空港に到着。お腹も空いてはいたのですが、到着後のミラノ風カツレツのため、ファーストフード店でコーヒーだけを注文。機内でも軽食は断りひたすら飲み物だけで堪えた乙女でありました。さてマルペンサ空港到着後は慣れない国での不手際はあったものの無事バスへ乗車して市内へ向かいました。さあ憧れのミラノ風カツレツ。予め調べておいたレストランテへ直行。ミラネーゼに混じっての昼食はもちろんカツレツ。現地での名前はCotoletta alla Milanese(コートレッタアッラミラネーゼと読んでいました)これがミラノ風仔牛のカツレツという意味なのです。この憧れの一塊を口へ入れた途端、私はもう天国へ。うわあこんな美味しいお肉は久しぶり。嬉しさの余り涙ぐんだ乙女なのでした。いよいよ明日は観戦。昼食の後、一先ずホテルへチェックインし、明日の準備と休息を取ることにしたのでした。昼食のコートレッタアッラミラネーゼ=ミラノ風仔牛のカツレツを食べて天国へ登った乙女はその後ホテルへチェックイン。最近はどこのホテルでも身分証明書の代わりにクレジットカードの提出を求めますが、下手をすればパスポートよりもカードの方が重要だと思う場面が度々あります。その第一がこのホテルのチェックインなのです。もう一つパスポート等の身分証明書が重要なスポットといえば、ナイトライフには命を賭けるタイプの乙女ですから、バー等のお酒を飲むところ。イタリアは比較的うるさくないようですがロンドンでも、米国でも、比較的若年に見られる私(自画自賛?!)を含めた日本人ですから、お酒をオーダーする時にはパスポートやその他の身分証明書の提示を度々求められます。ある時ロンドンでの事、パブへご案内した日本よりの40代のお客様(主婦)に対してバーテンがパスポートの提示を求めていた時には、さすがに笑いを堪えるのに(ごめんなさい!)四苦八苦しましたが.....。さて明日の試合は、ミラン対レッチェ。ミランは言わずと知れたセリエではビッグチーム、今シーズンはまずまずの位置での戦いとなっています。対するレッチェも攻撃と守備が噛み合わずに敗戦する場面もありましたが、一進一退を繰り返す戦いとなっています。その戦いが行われる前に必ずしなければいけない事といえばやはり前夜祭。普段の乙女はパブでビールを飲んだくれるただの酒好きなのですが、ここイタリアでもただの酒好き。今晩はワインで暮れる乙女の夜なのでありましたあ!乙女の夢は夜開いたのです!しかし一夜明ければ、夢はただの夢だと分かり、おまけに重度の二日酔い。もう二度と酒なんか口にしないぞと誓った朝なのでした。それにしても昨夜はフランスからショッピングに来たという初老の御夫婦とレストランで隣になり、英語の話せる方たちだった事も手伝って意気投合。お二人とバーで飲んで、その後ご宿泊先のお部屋までお邪魔して飲み明かした、いや飲み倒したのでした。推定飲量ワイン数本(もちろん一人の飲んだ分)、『ウイスキーを割ってのむ馬鹿の気持ちが知れない』と言って飲んだショットの数が数十杯。そりゃあ二日酔いもする筈なのですが、その時はつい調子にのって飲んでしまう悪いくせのある乙女なのです。
さて本日の試合は、ミラン対レッチェ。前述の初老の御夫婦はショッピングでミラノへ来られたとのこと。今日は日曜日なのでたぶん大方のお店はお休みでしょうから、たぶんゆっくりお部屋で寛いでいれば良いでしょうが、乙女はそうはいきません。飲み倒すのが目的ではるばるロンドンからここミランまで来た訳じゃないんです。そのうえゆっくり観光出来るのも今日一日。明日にはロンドンへ帰らなければなりません。明日は月曜日ですからいくつかのブランドもののお店をのぞいて新しい冬用の靴とスカーフを購入予定なのですから。大急ぎでトイレで吐いて(失礼!)、身支度し、観戦も出来る格好で外出です。まあ観光はある程度皆さん御存じの方も多いと思いますし、紙面も限られますから割愛することとして、いよいよお楽しみのサッカー観戦のお話へ。
いよいよ念願のセリエA観戦。この日は最寄り駅からバスも運行されているとのことだったのですが、雰囲気を楽しみながら徒歩でのスタジアム入りとなりました。ジュゼッぺメアッツ。これがここのスタジアムの正式名称。でも私を含めて皆さんも通称のサンシーロと言った方が分かりやすいかもしれませんね。以前お伝えしたようにチケットは事前手配。取引先の代理店の女性には散々、当日買える安いチケットは女性一人では危ないカテゴリーの席が多いので予め購入するように勧められ、チケットもお願いしておいたのです。それにしても行ってみて最大に驚いたのはウルトラと呼ばれる超熱狂的なファンが巣食うクルバ。遠目で見ているだけでも超過激な行動の目立つエリアです。万が一チケットの情報を事前に入手してなくて、こんなエリアへ入り込んだらと思えばぞっとする乙女でした。スタジアムでは観客の腹の底から這い上がるような歓声が私を興奮させます。前夜からの疲れが催眠作用となり何か行っちゃってる状態での観戦となりました。予想された通りの展開でミランの圧倒的な試合運び。この流れに観客も大興奮で屋根の無い席の方たちの頭上からは本当、もう信じられないものまで上から落ちててきており、おまけに発煙筒まで登場するや、一寸先も(周りにいる人にとっては本当に)見えない状態なのです。ところが文句を言うどころかこれが又興奮に興奮を呼ぶ変な作用となったのか、またまた大興奮に陥った乙女なのでした。サンシーロで大興奮に陥った乙女に、更に追い討ちをかけたのが昨年獲得したミラン期待の選手シェフチェンコ。この選手以前旧ソ連邦時代より名門クラブだった、現在ウクライナ共和国に属するチーム、ディナモキエフで活躍していた大物ストライカーなのです。180センチ超にもかかわらず、きびきびとした動きの中にも泰然とした落ち着きをみせ、正にスターの貫禄をも持ち合わせる24才の天才なのです。このシェフチェンコがこの日も大活躍。2得点を挙げる活躍で結局4-1でミランの勝利で終わりました。それにしても大興奮、大興奮の連続で、試合内容だけでなく、本当に雰囲気から肌で感じるものまでが大満足のゲームなのでした!!!さてゲームは終わったもののこれでこの日のサッカーが終わった訳ではありません。ぜひいくつかショッピングしていきたいもののなかの一つがミランのジャージだったのです。ミランのものと言えばやはり日本でも有名なミランポイントでとも思ったのですが、この大興奮を背に、スタジアムで良い品物を買わずして、どこで買うのか!?そんなこんなでスタジアムにたくさん出ている露天で妖しい商品を物色。もちろん購入したのは背番号7。シェフチェンコ選手のユニフォーム。自分用。そして今回お世話になったミランの代理店の女性の方とそして私が留守の間に仕事をお願いしている同僚の男性用の3枚を購入したのです。満足の一日でした。しかし人間は『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の格言通り、お腹が減り、咽が乾き、そして今日もバーへ向かう私、ロンドンの乙女でありました。ミラノ最後の夜に乾杯!!!
さてミランの旅も最終日となりました。又も昨夜は大失態。レストランでワインを飲み、そしてバーで軽くのつもりがちょっと飲み過ぎ。それにも関わらず飲み足らず、何とホテルのルームサービスでワインのボトルを注文。予想通りほとんど飲めずに開けっ放し状態で寝てしまったのです。しかしそこは乙女、今最後の原稿を日本に送るべく執筆しながら、その昨夜のワインを飲みながら、快調な滑り出しで執筆している訳です。この後シャワーを浴びて、ホテルをチェックアウト、荷物は預けたまま、冬用の靴とスカーフを買いに街へ出る予定にしています。ミラノからの最後のロンドン通信をお届けしました。チャオ!今私はロンドン。原稿を日本へ送りだしてからショッピング、そして空港移動、搭乗と慌ただしい最終日を終え、今こうして無事ロンドンの我が家(アパート)へ辿り着いた訳です。さて皆さん夏の暑い時期から長い間、このロンドン通信を御愛読頂きまして本当に有難うございました。これが今年最後のロンドン通信となりました。拙い文章その他皆様へはいろいろご迷惑をお掛けしたかもしれません。これから我々旅行業者は更に忙しい年末年始となります。来年はいつ御会い出来るかまだはっきりしませんがその間、健康にお気を付けてお過ごし下さい。皆様が楽しいクリスマスを過ごされ、又健康で家族の皆様と楽しいお正月をお迎え出来ますよう、ここヨーロッパの中心地ロンドンよりお祈り申し上げます。良いお年を!
2000年12月号記事
◆日本人選手の相次ぐ海外進出◆
◆G大阪、稲本選手の欧州移籍直訴
ガンバ大阪のMF稲本潤一選手(21)が12月7日に行われた契約更改交渉の席で来年夏以降の欧州クラブへの移籍を直訴したようです。この席で稲本選手は完全移籍を希望、クラブ側も前向きに検討することを了承し、今後の交渉が注目されるところです。ファンとしてもぜひ欧州リーグでの活躍も観たいと熱望しているに違いありません。と言うのも例えば野球を例に取れば一度メジャーリーグへ行ってしまえば、辞めるか、移籍されるまで特別なイベント以外での選手のプレーを日本で見る事は出来ませんが、サッカーの場合には代表メンバーに入っていれば見るチャンスもありますし、やはり世界のステージでの戦いも数多く見れる点は最高だと思います。野球も好きな筆者ですが、日本の小さな国での優勝云々では全くグローバルではなく、ワンランク上のメジャーリーグとまでは行きませんが、せめてプロリーグを持つ韓国、台湾、日本での優勝チーム同士が争うアジアシリーズ程度は早く実現して欲しいと願っているのです。それに比べサッカーはシステム化されていますよね。ワールドカップをはじめ数多くの世界のステージが用意されており、各国ランキングもきちんと成績に基づいて発表される訳ですから。もちろん稲本選手や既に移籍が決まった選手が海外へ行ってしまうのは国内リーグを思えばある程度の寂しさは拭えませんが、この経験がいずれ国内のスキルアップにも役立つ訳ですから長い目でみても決して悪い事ではないと思います。更に多くの日本人選手が欧州だけでなく、韓国や米国、中南米への進出を考えても良いかもしれません。
◆ 宮本選手プレミアリーグウェストハムへ移籍
シドニーオリンピック代表のキャプテンをも務めたガンバ大阪の宮本恒靖選手が、イングランド・プレミアリーグのウェストハムへ完全移籍することが発表されましたよね。今回の宮本選手のイングランドへの移籍は本当に驚きました。何と言ってもサッカーの母国イギリスなのですから。サッカーと言えばイギリス、イギリスと言えばサッカーなのですから。このイギリスの放送局と言えば、言わずと知れたBBCですよね。話は少し逸れますが、毎朝このBBCのワールドスポーツニュースを観ています。このスポーツニュースのなかで野球の原形とも言われるクリケットのニュースがかなり頻繁に流れています。先ず日本では名前さえもあまり聞くチャンスのないクリケットですが、インド、パキスタン、ジンバブエ、南アフリカ、イギリスといった国の名前が頻繁に登場してきます。競技内容を全く知らないので、余りよく理解出来ないのですが、やはり前述の各国が強剛のようなのです。この世界の最近のトピックはインド人、そして南アフリカ人の有名選手が八百長事件に関与し、5年間程度の出場停止から永久出場停止処分まで、多くの選手が処分されている最中とのことでした。本当にお国変われば、品変わる。イギリスでさえ知ってるつもりになっている我々ですが、知らない事も沢山あるわけで、早くその新しい雰囲気に慣れて欲しいと思いながら、宮本選手の成功を祈っているのでした。さてそのニュースのなかでクリケットと双璧に出てくる話題がもちろんサッカープレミアリーグなのです。それはそうですよね。サッカーの母国なのですから。 このサッカーの母国に、今回初めての日本人選手が誕生という嬉しいニュースなのですから私たちファンさえも驚くのは当たり前。宮本選手の移籍先のウェストハム・ユナイテッドは1895年に創立されたロンドンに本拠を置く歴史のあるクラブなのです。ホームスタジアムはアップトンパークです。今回の移籍はハリー・レドナップ監督がクロアチア代表のスティマッチとペアを組むセンターバックの補強が必要とのことで宮本の獲得に動いたということなのです。イギリスの場合は就労ビザの取得が日本より更に厳しく、リーグ戦の半分以上に出場しなければ、この就労ビザが下りないと言われています。我々ファンの心配は本当に宮本選手がウェストハム・ユナイテッドの中心選手として毎試合出場できるかどうかという事なのですが、前述のビザの関係もあり、安定的に出場すると報道されているのです。出場と言えばイタリアセリエAの名門ASローマへ移籍後の中田選手は今だ中途半端な状況に陥り、苦しい戦いを孤独と絶えながら続けています。これも試練、この新たな壁を乗り越えて更にステップアップ出来た中田選手となるのでしょうが、今回の宮本選手にも何とか頑張って、チームの中心となって欲しいものです。
◇ 西沢選手は、スペインへ
レンタル移籍ながら、スペイン1部リーグのエスパニョールへ移籍したのが日本代表、セレッソ大阪の西沢明訓選手です。既に西沢選手は大阪よりスペイン・バルセロナへ旅立ちました。 今回のレンタル移籍の期間の来年6月末まで。短い期間ではありますが、「更にレベルアップするため」という一般的な事ではなく、ここから「世界の西沢」へと飛躍出来る土台作りをして欲しいと切に願ってやみません。 12月3日よりチームへ合流しているとのことです。先日のトヨタカップに出場したビッグチームレアル・マドリードやバルセロナ等、世界レベルのチームと早く対戦して欲しいものです。ファンの正直な気持ちとしては早くユニフォームを着て試合に出場している姿を一目でも観たいといこと。又攻撃型のチームが多いスペインの各クラブのなかでの西沢選手の役割にも注目です。ところでこのレンタル期間中の西沢選手は単身赴任とのこと。試合での活躍には体調管理や生活習慣に一刻も早く慣れる事が大切です。サッカーのスキルアップも大切ですが、メンタルの部分のスキルアップ、つまりメンタルトレーニングも世界でプレーするには重要な部分、この技術の向上も疎かにしないで欲しいと思っています。期待します!!
2000年11月号記事
◆ トヨタカップ観戦後記◆
トヨタカップ結果
とうとう南米代表がやったという感じのトヨタカップでした。しかしそれにしても寒い、寒い、本当に寒い一日でした。気温も10度以下だったようですが、何せ風が強く、イタリアで観るサッカー観戦のような正に冬シーズンのスポーツというには相応しい天気だったかもしれません。今日は先ず結果だけお伝えします。又風邪をぶり返らせてしまいました!
トヨタカップ結果 ボカ・ジュニアーズ2−1レアル・マドリード
得点:パレルモ3分・6分、 ロベルト・カルロス12分
- - - - - - - - - - - - - - - - -
一昨日のトヨタカップは良い試合でしたね。試合前は何となくレアルを応援しようかなとも思ったのですが、競技場で行くなりのボカのサポーターの熱気、そして何よりもボカの選手の意気込みを見て、今回ボカを応援、勝利しました。個人の選手としてはロベルトカルロスの素早い動き、運動量の多さとそのテクニックに魅了されました。さてこの日、18時頃にはJR千駄ヶ谷駅へ早くも到着。寒いとの情報で重装備にて準備万端の筈だったのですが、現地へ着いてみれば、かなりの強風で、もっと重装備でも.....と多少の後悔。それにしても凄い人。例えば東京ドームでの巨人戦や今年開催された多くのビッグイベントにもかなり多く参加していましたが、トヨタカップの人出の多さには圧倒されました。競技場での発表では5万2千余名の公式入場者という事でした。さて驚いたのは人出の多さだけではなく、ダフ屋の多さです。駅の自動改札の真ん前での営業から競技場前までの沿道にはそれは多くのダフ屋さんがいて、恐いくらいでした。以前行ったコンサートでは開場15分くらい前には投げ売りしていたのですが、トヨタカップでは試合開始5分前になっても「余り券買うよ」というダフ屋さんの声。いかに多くのファンがチケットを入手出来なかったのか、そしていかに多くのファンがこの試合を観たいのかが分かる人気の高さでした。
- - - - - - - - - - - - - - - - -
トヨタカップではいろいろなものの多さにびっくりした事は既にお伝えしました。もう一つびっくりした事は路上でのグッズ売りでした。御存じの方も多いと思いますが国立競技場は最寄り駅がいくつかある関係で狭い道幅ながらもいくつかのルートで行き帰り出来るのです。このあらゆるルート上でイリーガルな物売りが商売ッ気たっぷりに、特にレプリカジャージを売っていました。1枚がだいたい3500〜4000円。もちろんこのいずれの商品も偽物のレプリカなのですが、試合前の期待に胸膨らませている時や、試合後の興奮覚めやらぬ時には、もうその商品がばんばんと売れていく訳です。うちの会社でもいくつかサッカージャージ等を扱っていますが、どんな良い商品で、どんな割安感があっても、又どんな珍しいものでも、このグッドタイミングな路上販売にかかっては足下にも及ばないというのが正直な感想でした。それにしても6000円ではなく、5000円でもなく3500〜4000円という値付けもなかなか絶妙な購買意欲を湧かせる値段ですよね。そうそう売っている人は片言の日本語しか分からない人も含め皆外国の方達でした。恐い方達に雇われているのか、はたまた本当にこのイベントのためにやってきているのかは不明でしたが、したたかな商売人の顔を見たような気がしました。最後にここのところチケット入手の関係で観戦していなかった友人が、来年もぜひ来ようよと言っていたくらい、今回も素晴らしい雰囲気のなかでのトヨタカップでした。6年ぶりですか?!南米の勝利おめでとうございました!!!
2000年11月号記事
◆ W杯入場券販売受付正式に決定◆
日韓共催のワールドカップ2002。チケット収益のFIFAとの非課税問題でごたごたし、予約受付が延期されていましたが、先日問題が解決し、正式な受け付け開始日時が確定したようです。それによれば来年2001年2月15日より日本国内分だけでなく、世界同時の受け付けが開始されると言う事です。当社でも皆様のご希望により多少の販売をするつもりではおりますが、儲け第一主義での大量販売は1998年フランスワールドカップの各旅行代理店の失態による信用の失墜の二の舞いとなる恐れがあります。又日本戦のチケットは国内を扱う他の業者さんや金券屋さんにお譲りするとして、私達はワールドサッカーのサポーターの皆様のアシスト役として、主に韓国戦、韓国国内での試合や、日本戦ではない欧州、南米のチケットを扱うつもりでおります。ただしこれもまだ全くの未定ですので、皆様へのチケットに責任が保証されない場合には全くの取扱い中止とさせて頂く場合もあると考えております。取扱いが出来るようであれば又別の機会に改めてご案内させて頂きます。
2000年11月号記事
◆ 日本代表チームへの総括◆
今回はオランダサッカーはちょっとお休みして身近なサッカーについて本誌執筆者の一人、私馬場が書いてみたいと思います。さて私たちにとっての身近なサッカーの頂点はなんといっても日本代表チームです。オリンピック、アジア選手権と大きな大会が二つ終わり興奮もさめて冷静に振り返ることが出来るころだと思います。アジア選手権では優勝の栄冠に輝き”誠に御喜ばしい”出来事でした。また、オリンピックでは決勝トーナメント一回戦で残念ながら敗退し"誠に寒心に耐えがたき”出来事でした。しかしそれ以前の大きな大会のほとんどは予選リーグ敗退、地域予選敗退となっていたことを思えば格段の進歩は間違いありません。日時順を逆にさかのぼってみるとここ最近の日本代表チームの進歩はめざましいものがあります。これは技術だけの進歩ではなく精神力の進歩がおおきなウェイトをしめていると私は感じます。かつて。ドーハの悲劇として振り返られるワールドカップ地域予選敗退。この当時も技術面では着実に向上しているのですが最後の最後で結果に結びつかないころでした。選手1人一人が規定タイムを経過し主審のホイッスルが響くまで集中力を維持するまでの精神力の訓練というよりも経験が不足していたのでしょう。当時の代表選手、ファンの方々は今でも悔しい思いにかられるのでしょうがそうした先人達の経験を見て、聞いて、又オリンピックで試合終了近くで勝ちを失った体験が漏れなくA代表選手に見事に伝わりアジア選手権では優勝の栄冠を勝ち取ったと思います。アジア選手権準決勝で中国相手に点の取り合いのゲームをしてくれました。以前の代表チームであれば気力負けしていたでしょうが耐えるところは耐え、我慢し、攻撃の起点となるチャンスを非常にうまく待っていましたよね。そして攻撃に転じれば意外性を交えた(昔の日本代表チームは本当にこれがかけてました)厚みのある展開で相手の中盤と守備を混乱させてました。やっとと言うか、ついにと言うべきか日本のサッカーのレベルはここまで来たかと嬉しくなりました。精神戦に勝つことが出来るとあとは強くなってしまいますね!ちなみに私は決勝戦は日本が一点をとったところでビデオをセットして寝てしまいました。今の日本代表チームであればたとえ一点だけであっても勝つ精神力を身につけてるのだからあとは表彰式はゆっくり見ればよいのだからと安心して寝てしまいました。来たる ”2002年 ワールドカップ” 期待してよいのではないでしょうか。その昔、ワールドカップの82年大会、86年大会とドイツ軍団はぎりぎりの精神的に追い詰められながらの戦いで素晴らしいゲームを展開しました。(但し、最近のドイツはどうしちゃったのでしょうね)それはたとえ結果負けてしまっても観戦する側、応援する側に満足感を与え次の試合への楽しみを作ってくれます。読者の皆さん ”2002年ワールドカップ” 精神力が高まり強くたくましくなった日本代表チームにおおいに期待し、応援しましょう。ところで、日本代表チームのアジア選手権では優勝はお隣の韓国では大きな驚きとしてとらえられたようです。韓国の友人がアジア選手権直後に寄せられたメールから生の声を抜粋で転載します。『韓国サッカーファンの間ではオリンピックとアジアカップの結果で韓国サッカーファンはがっかりしています。ほとんどの人々が日本のサッカーの発展に本当に驚いて”習うべきことはは習わなげればならない”という声も出ています。』古くからのライバルである韓国のファンからこのように思われるとは大変光栄ではありませんか!これを誇りにつぎは南米、ヨーロッパからこのような声が聞こえるようになりたいものですね。
2000年11月号記事
◆韓国通信 =大極旗戦士=◆
165センチ57キロの大極旗戦士(テグッキ・チョンサ)パクカンジョ。韓国では韓国代表選手のことを尊敬の念を込めて「大極旗戦士」という呼称で呼ぶのです。パクカンジョ選手(20)はもともと滝川第2高校から京都パープルサンガへ入団。今年より韓国Kリーグ城南一和へ移籍しプレーしている選手なのです。そしてそのプレーが認められ、憧れの代表選手まで登りつめたわけです。そのパクカンジョ選手が最近「もう一度日本でプレーしたい」と発言し、韓国で話題になっているのです。この天才ミッドフィルーダーは球団側にできるだけ早く日本でプレーしたいという意志を表明。しかしチャキョンボク城南一和監督は「もう1年韓国でプレーさせた後日本にかえす」とコメント。2002シーズンには韓国でのパクカンジョ選手のプレーを見ることができなくなる可能性が高くなり、韓国のサポーターたちからの嘆きがしきりに聞こえてくるのです。パクカンジョ選手は攻撃型のミッドフィルダ−としてめきめき実力をつけ、韓国でのわずかなプレー期間にもかかわらず、韓国代表選手=大極旗戦士に選ばれたのです。しかし彼は韓国国内選手と同じ適用のため、城南一和球団の許可なしでの他国でのプレー(日本を含む)は出来ないのです。通常通りの移籍、トレードによってのみ移れるのです。前述の球団への意志表示の際、シーズン後受け取るとされる約1億ウォンの特別報奨金の放棄までほのめかしたとのこと。彼がパープルサンガで時代、城南一和の監督の目にとまり今シーズン、年俸3,600万ウォンで入団し活躍。シドニーオリンピック代表チームに抜てきされたのです。今後どうなるか予断を許しませんが日本での彼のプレーを観たいのも事実ですよね。
2000年11月号記事
◆イタリア通信 「AS ローマ 中田英寿選手大特集」◆
イタリアでは最近中田の話題がめっきり少なくなっています。私のような日本とビジネスをしているイタリア人は、特に気を付けてニュースをチェックしていますが、それ以外の人はもっぱら自分の贔屓のチームのことで頭がいっぱいなのです。ところで先日中田についてのこんなニュースがあったのでお知らせします。ASローマのフランチェスコ・センシ会長(74)が今月19日付の全国紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」で、MF中田についてコメントをしました。それによれば「中田をどのチームにも売らないし、どのチームにも貸さない」と話したようです。先日日本から届いたニュースにJリーグのヴェルディー川崎が中田の獲得に動き出したとの報道がありました。イタリアでは特にこのような発言をする場合、その裏側で何かがある!というのは常識です。近日何か大きな動きがあるかもしれませんね。いずれにしても日本でもイタリアでも中田のプレーをいつも観ていたいのですが......。何か動きがあればローマより直ぐにお知らせする予定ですが...........。そしてイタリアでは遂に中田のカップ戦出場も微妙だとの報道がされています。情報の早い日本の皆さんももう御存じかもしれませんが、これに出場しないということは、本当の意味での控えという事であり、中田クラスの実力のある選手の場合は必ず移籍等が行われる公算が強いのです。今シーズンのセリエA開幕後、7戦のうち5戦でメンバにー落ち、リ ーグ戦で出番が回ってこない中田選手ですが、今回ホーム・オリンピコで行われる UEFAカップの3回戦の第1戦、ハンブルガーSV戦(日本時間24日午前4時45分)の出場も微妙とのことなのです。 私たち中田ファンにとっては全く腹立たしいという一語に尽きる最近のASローマの対応ですよね。中田の決断もそろそろ行われるに違いありません。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
先の原稿を日本へ送った直後の日本時間24日に行われたホーム・オリンピコでのハンブルガーSV戦(ドイツ)の出場はと言えば、我々ファンの心配をよそに中田はMFで先発フル出場を果たしました。今シーズン開幕後、7戦のうち5戦でメンバー落ちし、もしも今回のカップ戦の出場がないとなれば、実質上の戦力外通告にも等しく、今後の去就が注目されていた一戦でした。ペルージャへのレンタル移籍や日本のヴェルディ−川崎への移籍等噂は絶えませんが、イタリア人ながら日本通を自負するわたしの個人的な考えとしては、日本球団の近鉄からアメリカのメジャーリーグへ挑戦し、立派にスターとなったNOMOのようにヨーロッパサッカー界に永住、骨を埋めるつもりでやってもらいたいと中田選手には希望しているのです。
2000年11月号記事
◆トヨタカップ直前 両チームの歴史◆
さあ、いよいよ来週は皆様お待ちかねのトヨタカップですね。今年の対戦はボカジュニアーズとレアルマドリッ。今回ボカジュニアーズ、レアルマドリッについておさらいをしてみましょう。そのチームの歴史等の予備知識を確認することにより、更に面白く観戦出来る事間違いなしです。
【アルゼンチン/ボカジュニアーズ】
そのボカジュニアーズですが、創立が1905年、南米はアルゼンチン、ブエノスアイレス市を本拠地としています。監督は、カルロス・ビアンチ。ホームスタジアムの名前は「ボンボネラ」(5万6552人収容)です。そのアルゼンチンの首都には、現在二つのメインチームが存在します。中流以上に人気のリバープレート。そして一般大衆に愛されているのがこのボカ・ジュニアーズなのです。このチームの名前の由来はボカという地区からきたもの。私も旅行の添乗員として訪れたとがありますが、活気のある港町です。ここで1905年4月3日にイタリア移民を中心とする若者たちで結成されました。アマチュアリーグで1919年に初優勝。プロとなった1931年にもチャンピオンとなっています。1940年代、50年代はライバルのリバープレートが全盛期を迎えて押され気味でしたが、60年代に復活。リベルタドーレスカップで1977年初優勝を遂げました。その後一時衰退するも、マラドーナ等の補強を敢行、1981年、1部リーグで優勝しました。しかし、この成功も一時的、1982年にはマラドーナがFCバルセロナ (スペイン) に移籍し、またしても衰退したのです。しかし1995年にマクリ会長が就任したことにより、マラドーナを復帰させたり、カニーヒアを獲得するなど、ビッグスターでのチーム再建を図ったり、ユース育成に力を入れたりで、栄光の基盤を作りました。さて今回の注目は司令塔のリケルメ、バタグリア、ペレーダ、最前線のパレルモ、バリホなどが果敢なゴールでの得点力です。いかなるゲームになるやら?!楽しみい!
【スペイン/レアルマドリッ】
ボカジュニアーズに続いては、スペイン/レアルマドリッについてお伝えします。創立が1902年とボカより3年早く誕生。スペイン、マドリード市を本拠地としています。監督は、ビセンテ・デルボスケ。本拠地のスタジアムの名前はサンティアゴ・ベルナベウ(8万5000人収容)です。何と言ってもこのクラブ、UEFAチャンピオンズリーグをはじめ数々の大会での実績もさることながら、ヨーロッパのクラブカップの草創期に果たした大きな役割が世界のサッカー界から尊敬され所以なわけです。1955年に始まった欧州チャンピオンズカップで5連覇の偉業はペレ以上の功績とさえ言われているのです。その始まりは空き地でプレーしていた学生たちが作ったのが最初。そして1920年には当時の国王であったアルフォンソ13世から、クラブ名に「レアル」 (王室のという意味) の呼称を用いることが許されるまでになったのです。さて現在の監督デルボスケは1970年代から1980年代にMFとして活躍した元選手。UEFAチャンピオンズリーグでの戦いでは優勝。今回のトヨタカップと、今季のUEFAチャンピオンズリーグへの出場権を手に入れたのです。さて今回の目玉は何と言ってもライバルのFCバルセロナから獲得したポルトガル代表MFのフィーゴであることは衆目の一致するところ。その他コンセイソン、マケレレ、セラデスらを加えた中盤。そしてラウル、ロベルト・カルロスの攻撃は他チームにとっては脅威に違いありません。守備ではイエロ、マクマナマン、サルガド、新人のカシリャスによる柔軟で鉄壁な守りで敵をいかに押さえるか? いよいよキックオフは11月28日(火曜日)です。
2000年11月号記事
◆トヨタカップのプレミアチケット◆
今日の二つ目の特集はトヨタカップのチケットについて書こうと思います。さて皆さんはもう観戦のためのチケットは入手されましたでしょうか?もちろん地方にお住まいの方や当日がお仕事の方、あるいはチケット入手が困難だった方等沢山の方がいらっしゃることと思います。私は何とか知人の尽力があって、やっと入手したって感じで、本当にほっとしている状況なのです。最初から発売日をチェックし、あの手、この手を使えば入手出来るのでしょうが、つい忙しさに負けてしまい、そして加えてずぼらな性格が災いして、毎年直前になって焦ってしまうという、馬鹿みたいにいつもいつも同じパターンに陥っているわけです。さて今年のチケットも発売日以降に気付き焦り、会社の近くのチケット屋さんや、出先の金券屋さんを探したのですが、先ず間違いなくチケットはあります。ところがこの価格ときたら、もう本当に目が飛び出るくらい高いのです。ペアで6万円の席とか、4万円とか......。とても一介のサラリーマンが出せるような金額ではありません。それではと、インターネットをチェック。私の会社では国内のチケットは基本的に扱いませんので、こういう場合は個人的にインターネットを使用してチェックするわけです。ここでも本当に沢山のチケットが売られていました。金券屋さんが持っている非常に良い席に比べれば席の位置自体はそこそこなのでしょうが、それでもかなりのプレミアが付いているのです。今は依託販売が主流になっているようで、一般の方が売れ筋のチケットを転売目的でいち早く入手し、こういう所へ依託して儲けるという何ともしっかりした方たちが大勢いるようです。まあうちの会社で扱う海外のスポーツチケットも同じようなもので、本当はファンでもないのに、転売目的で年間予約席を何席も持っている人が大勢いるわけです。しかしこういう人たちがいるお陰で多少高いお金を出してでも見たい方のために役立っているのも事実なのです。年間予約席やトヨタカップのような本当に素晴らしい大会のチケットを購入する全ての方が本当にファンであれば、我々買いそびれたファンや海外での試合を日本人が観れる機会は随分少なくなることは必至です。米国では一部の州でチケットの転売を制限する地域がありますが、ほとんどは合法です。日本でも沢山の国内でのスポーツイベントのチケットが売られていますよね。国内でのチケットの転売等を行う場合は、必ず各都道府県の管轄の警察署で発行される古物商の免許が必要となってきます。一般の店鋪で販売している場合もインターネットで販売している場合も同じで必ず必要になってきます。特にインターネットではこの標記があるかどうかを必ず注意して下さい。これがトラブルがおきない秘けつの一つでもあるんですよ!せっかくの楽しいイベントですからちょっとした不注意から嫌な思いや、詐欺に会う事がないように皆さん充分注意して下さいね!
2000年11月号記事
◆ロンドンの乙女イタリアサッカー観戦記 第3回◆
前回、何とかホテルがやっと決定しました。ホテルが決まれば、こちらのもの。既にチェック済みのフライトインフォメーションを基に、エアの予約。今回はBA-英国航空を利用することに決定しました。そう言えば英国航空-ブリティッシュエアウエイズと言って連想するのは、日本では大きな話題となっていると聞いているルーシーブラックマンさん。ロンドンでもBBCを中心にニュースで放映され、話題になっています。ただし日本よりはるかに犯罪、殺人の多いイギリス。又猟奇殺人に関しては日本とは比較にならない程多い(英国が突出しているのではなく、日本が少ない)英国ですから、猟奇殺人あるいは、性的犯罪として話題になっているのではなく、英国人が海外で行方不明になっており、安否が気づかわれているという内容の延長線上の報道なのです。先日見た新聞にも、ブレア首相が日本の総理大臣に、捜査をしっかりという旨を伝えたと書いてありました。アメリカも同様のようですが、今や世界中にちらばる自国民の安全に対して、非常に神経質になっていることは間違いないことのようです。(海外で暮らす者にとっては、正直日本政府は大丈夫かしらんと時々思います。)さてフライトは朝の8時出発予定。現地は11時の到着。朝はつらいけど、お昼はミラノでミラノ風カツレツが食べた〜い!という一心での決定。このミラノ風カツレツは現地で有名とのこと。もちろんイタリア初体験の私ですから食べたことはありません。イギリスの不味いフィッシュ&チップスばかり食べている私にとって、日本人のお客さんから噂に聞く、あれが美味しかった、あれが又食べたいという耳学問により、想像は膨らむばかり。はやく!はやく〜と思いはつのるばかりです。イギリスの不味いフィッシュ&チップスばかり食べている私にとっては、噂に聞く、ミラノ風カツレツは、日本のトンカツに近いのかそれともピカタに近いようなものなのか今一つ想像がつきません。まあそれは行って食べれば解決することですから、一先ずおいておくとして、次なる問題はチケット。この際ですからホテルのついでに、現地業者さんにご相談。という訳で、早速情報をお願いした次第です。さすが世界有数のカルチョ大国イタリア人ホテルの回答は時間が掛かっても、サッカーの情報は早いこと早いこと。折り返しファックスで直ぐに回答をくれました。それによるとイタリアやスペインのリーグでは10日から1週間前くらいに試合日も含め、試合時間等が決定。そしてチケットが発売されるというんです。地方に行けば本当に試合日が変更になる場合も多々あるとのこと。そんな事ってあるの?プレミアリーグの場合は、そんないい加減ともいえる事はまずないし、席さえあれば、電話1本、クレジットカードで購入出来てしまう。これがプレミアリーグのシステムなのですが...。(ただし人気カードは入手困難ですよ。もちろん)イタリアでは、良い席にかかわらず、人気チームのチケットは年間ホルダー。つまり年間予約での購入をする人が多いということなのです。立ち見(席?)でも年間予約で購入する事が出来るなんてちょっと考えつかない発想なのですが...。と言うことで、1週間前に現地へ行って並んで購入する訳にもいかないし、ミラノのチームは人気もあり、やはり当日では安全で、そこそこの席は満席の確率が高いということで、これもついでにお願いするという事で、何となく他人まかせという不満が心に過りつつも、安全と安心を取った”乙女”なのでした。さて実際の旅行日まで(11月の観戦です)少し時間があります。観戦準備編は今回で終わらせて頂きます。次回お会いする時は観戦旅行時。日本への原稿は逐一インターネットで送りますのでお楽しみに!!!
2000年11月号記事
◆W杯入場券申し込み受け付けの行方は?◆
突然の申し込み受付の延期は本当にびっくりしました。この理由がインターネット販売の不備でFIFAの許可が得られなかったためとされているのですが、大会収益の非課税問題が解決されないため延期されたというのが真実と、もっぱらの噂です。そしてその問題の当事者である国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッター会長が来日しています。前述の2002年W杯での国内収益を非課税措置にする問題で、宮沢喜一蔵相、大島理森文相と それぞれ約30分間会談、「成功に向けた相互理解ができた。FIFA会長として満足し ている」とのコメントを発表したのです。まあそんな政治的な事は置いておいて、チケットの受付が来年2月に再度開始となるとの方向で決定。我々もやっと安心というところでしょうか。発売がいつになろうと、日本戦のチケットはプレミアチケットですから、今からどうやって入手するのか心配になってしまいます。私の友人は東京で自分で応募する分、実家から両親の名前で応募する分、妹に頼んで出してもらう分と今からあの手、この手で入手方法を考えているようですが、それくらいは誰でもやるでしょうから、果たして効果があるのかどうかは疑問です。もちろんお金を使えばどんな試合も観戦可能なのでしょうが、その金額は一体いくらくらい掛かるのか考えただけでもそっとしますよね。ところで日本サッカー協会は日韓共催のサッカーW杯のリハーサル大会となるコンフェデレーション杯開催受け入れに前向きな姿勢とのこと。各大陸連盟選手権の優勝チームが参加するコンフェデレーション杯は、来年5―6月に日韓で共催する方針のようですが、ワールドサッカーファンとしては一つでも多くの良い試合を見れるチャンスがあるならばぜひとも開催してもらいたいのが正直な感想です。
2000年11月号記事
◆ロンドンの乙女イタリアサッカー観戦記 第2回◆
前回は鍵を掛けて寝た添乗員さんが朝起きたらお客様から預かったパスポートが全て取られてたという話は笑い話でもなければ、昔の話でもない、紛れもなく今も実際に度々起こっている話、という所までお伝えしましたよね。そんなこんなで、ホテル選びには慎重にならざるをえません。一種の職業病でもあるのかもしれませんね。先ず選んだのは、小さくてかわいいプチホテル。念のため5軒選んで、電話番号をチェック。早速電話。前述のように、英語が使えないかもしれないと思ったら何だか緊張で手に汗がべっとり、でも勇気を出して!「ハロー」というこちらの言葉に相手も「ハロー」。おっ〜、通じるではないか!!!電話代が気になる私は感動する間もなく、早速の空室チェック。しかし残念ながらこのホテルは満室。気を取り直して、次のホテルへ。こちらはあまり英語は通じにくかったのですが、何とか会話は可能。しかし!やはり満室なのです。何やかんやで、とうとう5軒目のホテル。やっとのことで空室有りとのこと。しかし、資料にある値段とは大きく掛け離れた高い料金。結局値引き交渉も失敗し、振り出しへ。器の小さなホテルはやはり取り難いと判断。今度は予算も少し上げて、しかも規模の大きな所をチョイスし、再度トライしたのですが......。結果は惨敗。原因はやはり欧州への旅行者の増大。考えて見れば毎年増加する日本からの観光客の皆様の対応で超多忙な日々を送る自分の生活を見れば、おのずと結果は見えていたのです。さすがに困り果てた私だったのですが、以前から仕事を貰っていたイタリアの取引業者(業界で言うツアーオペレーター)のことを思い出し、恥ずかしながら、ダメ元で、問い合わせをしたのです。話ではやはりイタリア国内は非常に混雑しているとのこと。今回お役に立てるかどうか分からないが、少し時間を下さい、との回答に一先ず受話器を置いた乙女なのでした。翌日も、翌々日もイタリアからの返事はなし。人間勝手なもので、お客さんの立場になれば、やはりせっかちな自分があり、業者の立場になれば、やはり業者の心が分かる。外国に住んでみると分かるようになるのですが、ロンドンではもちろん私も外国人です。日本にいた時、見ていた街にいる外国人はこういう気持ちはだったのかなあ?とか、例えば全マスコミが一人の容疑者を犯人と決めつけて報道している姿を見た時、本当にそうなのかなあという疑問を持ったりとか、サッカーに例えればフィールドにいて全体が見渡せなかったのが、日本にいた時代。今はそれこそ放送席で全体を見渡しながらじっくりと見れていると言った感じなのです。数日たっても連絡がないイタリアの取引業者のツアーオペレーター。やっぱイタリア人は口ばっかし(皆がそうだという意味ではありません。あしからず)と思って諦めていたある日、突然の電話。それによれば、いろいろと当たったがやはり小さなホテルは満室とのこと。今回はちょっと高いかもしれないが、コネクションを駆使して「グランドホテルドウオモをADで取りました。コンプでなくてごめんなさい」。業界用語で分かりにくいと思うので、再度説明すると、つまり高級ホテルであるグランドホテルドウオモをAD(エージェントディスカウント=業者のための特別割引)で取りました。コンプでなくて(COMPLIMENTARY=無料)申し訳なかったのですが、お許し下さい。と、こういう事なのです。外国にきて視野が広くなったなんて言っていた舌の根も乾かないうちの、自分勝手な思い込みを恥ながらも、素直に喜んでいる私なのでした。ところで料金ですがこれはいろいろと差し障りがあるので具体的な数字は今回は勘弁して下さい。ちなみに、日本であればシングルで2万円を超えるくらいだとのこと。やったね!って感じですね。
2000年10月号記事
◆ロンドンの乙女イタリアサッカー観戦記 第1回◆
先日までの旅行シーズンで超忙しかったロンドン通信担当の現地駐在の日本人、自称”ロンドンの乙女”もこのところ、やっと落ち着きを取り戻しました。途中からこのメルマガを愛読頂いている方でまだ御存じない方もいらっしゃいますから、簡単に自己紹介します。私は旅行会社のロンドン駐在員。年令不詳の妖しい女性なのであります。時々、サッカー記事を皆様にお伝えしていますが、先日までユーロ2000の思い出と題して4回に分けてお届けしました。旅行業界とは格好良いなんて大学生の方や若い方から言われますが、業界のなかにいる者に言わせればスーツを着た肉体労働者(表現が悪くて申し訳ありません)つまり、とっても辛い、朝から晩までかけずり回る割に、他業種よりはるかに給料も安い商売なのです。ロンドン駐在と言えば聞こえは良いのですが朝起きて会社へ行けば御飯も食べずに夜中まで働く、海外でも働き蜂となり頑張る日本人なのです。すみません、余計な話で長くなってしまいました。その超忙しい旅行業なのですが、またまた晩秋からクリスマス、そして年末年始のロンドンの観光シーズンのピークへ突入するまえに、一度も訪れた事がない、イタリアの旅へ行こうと決心したのです。もちろん観光だけではなくサッカーを観るのも目的の一つとして。しかしプレミアリーグ専門で観ている私にとってイタリアという国に関しても、セリエAのチケットの手配に関しても、全くの無知。又イタリアサッカーに関してもミーハー状態で全く素人同然なのです。英語が通じないイタリアという噂も私の不安を更に増大させる原因の一つ。と言う訳で、思い立ったが吉日とばかり、まず旅行費用の算出から始め(一応プロですから)そしてチケット自体がどの程度の価格で手に入るのか、現地での安全な席のチケット確保は大丈夫なのか、等まさに多岐に渡って調べなければなりません。早速とりかかったロンドンの乙女。さあイタリア旅行へ行くぞ」と決めて最初に取りかかったのが旅行費用の算出です。お金のない私にとって一番重要な案件。何にもまして検討の必要があるのです。旅行という仕事。本当は皆旅行が大好きで、そして世界中を添乗して!なんて言う思いで入ってくるのですが、仕事で行く海外旅行なんて、一般の方が出張で国内移動するのと何ら変わらず、逆に長い拘束時間でもうへとへと。給料は少ないが、残業は多く、結局もう3年もプライベートで旅行に行ったことがないとか、入社15年で新婚旅行以外では家族旅行に一度も行った事がないなんていうもの凄い生物が存在するのが旅行の世界なのであります。と言う訳で、費用算出にとり掛かる乙女。やっぱりサッカー観戦を考えれば、名門チームのあるローマかミラノ。私も女性ですからショッピングにも行きたい!ということで一応目的地をミラノに決めたのです。会社の資料をめくれば、うおう〜!!!あるは、ある。さすが旅行会社の資料。沢山の安い宿。そして各国が陸続きの欧州。もう沢山の、素敵で安いホテルがあるではありませんか。と言ってもやはり旅行費用の多くを占めるのが宿泊費用。しかも女性ですから安いだけでなく、盗難や犯罪の多い欧州のこと。慎重のうえにも、慎重に選ばねばなりません。米国と違い古い施設が多いのも特色。鍵を掛けて寝た添乗員さんが朝起きたら、お客様から預かったパスポートが全て取られてたという話は笑い話でもなければ、昔の話でもない、紛れもなく今も実際に度々起こっている話なんですよ。
2000年10月号記事
◆北朝鮮スポーツ界と北朝鮮サッカー◆
今朝の新聞、テレビを見ていて、度胆を抜かれる話題があり、本当にびっくりしました。以前よりぜひ北朝鮮サッカーについて何かこのメルマガで書きたいと思いながら、なかなか資料のない国ですし、観戦する機会もあまりなく、ただ無為な時間が過ぎるばかりでした。この国のスポーツに関して全般的に興味がありましたが、時々名前を聞くのは柔道とオリンピックの時の南北同時入場そして2002ワールドカップの開催についての韓国絡みの話題(自分の勉強不足の部分も多分にあると思いますが.....)。忘れもしない1966年のワールドカップイングランド大会(生まれて間もない頃ですから、記憶ではなく、この輝かしい記録を忘れもしないとい言う意味です)。この当時、サッカーと言えば欧州か中南米。我々ファーイースト、つまり極東(彼等から見れば地球の端に位置する)のわけも分からない小国、そしてサッカー弱小国なんかは目にも入らない存在だったわけです。今では世界を席巻するアフリカサッカーもまだ発展途上にあり、何とアジア、オセアニア、アフリカをも含めた全ての地域に出場枠がたったの一つという考えられない大会(ワールドカップ)を開催しようと企てたのです。さすがに、これでは「ワールドカップ」とは名ばかりのサッカー大会ではないかと、批判が噴出。ほとんどのこの地域の国が大会をボイコットしたのです。最終的に予選に出場した北朝鮮チームはたった1試合、オーストラリアと対戦し勝利。ワールドカップ出場を果たしたのです。大会ではロシア(当時ソ連)に敗れはしたものの、続くチリ戦は引き分け。そして記念すべきワールドカップでのアジア初勝利となったのが対イタリア戦なのです。結局予選の最終結果1勝1敗1分だったもののソ連に次いでの2位となり、居並ぶ世界の強剛を尻目に世界の8強に名を列ねたのです。これだけであれば彼等の力が本物ではなかったかもしれません。ところが次の試合、優勝候補でもあったポルトガル戦で、世界は驚愕したのです。何と試合開始早々から北朝鮮の怒濤の3連続得点。このシュート力、得点力には皆が騒然となったのも無理はないかもしれません。しかし誰もがこの北朝鮮の勝利を信じ始めた後に状況は一変。なんと北朝鮮は守備の破綻から5失点を失い力尽きたのです。さて話題を今朝の新聞、テレビ報道に戻します。何にそんなに度胆を抜かれたかというと、世界で一番背の高いバスケットボール選手、北朝鮮のイーミョンフン選手(なんと驚きの235センチ)のNBA入りがほぼ決まったとの報道なのです。ク−コッチやムトンボ等欧州やアフリカの選手はかなりNBAにも進出していますが、アジア人選手としては異例のこと。ぜひとも活躍して欲しいとワールドスポーツファンとしては願うばかりです。
2000年10月号記事
◆1988年トヨタカップ◆
インターコンチネンタルカップがトヨタカップに受け継がれてからはオランダ国内のクラブチームが勝ち進んだのは私の記憶ではPSV・アイントホーフェンとアムステルダム・アヤックスの2チ−ムだと思います。その中でも1988年のPSV・アイントホーフェン VS ナシオナル・モンテビデオの試合はまさしくプロの集団が意地とプライドをかけて一歩も譲らない素晴らしい試合でした。今回はその思い出をたどってみたいと思います。この試合は私自身国立競技場で観戦したのですが、PSV・アイントホーフェンは ”クーマン” ”ファンブロイケレン” ”キーフト” ”ロマーリオ” を擁したのに対し、ナシオナル・モンテビデオは ”デ・レオン” くらいしかしりませんでした。(誠に勉強不足で・・・・・)予想ではPSVの楽勝かなと勝手に思い込みましたが、それはそれはどちらも最後まであきらめない見応えある試合でした。ここからは遥か昔の記憶をたどりますので少々の間違えはご愛嬌としていただければ幸いです。一進一体の攻防が続くなかでモンテビデオが先制点をあげたことでPSVは観客以上にプレイヤーは相手半分、己のプレッシャーとジレンマ半分の戦いをしているのがひしひしと伝わってくる重苦しい展開を ”ロマーリオ”が同点弾を決めてくれました。それまでは決定的までは行くのですがゴールネットにたどりつかないシュートが多数ありました。これがプロの意地とプライドなのですね。規定タイム内では決着がつかず延長戦に突入し、今度はPSVが先制したのですが終了間際にちょっとしたボールの処理ミスからコーナーキックをとられ同点弾をモンテビデオが決めました。なんと言う意地とプライドでしょうね。結末はPK戦でモンテビデオが勝ちました。但しこれもただでは終らず双方10人目まで進んでしまいました。(個人的には11人目つまりゴールキーパーのキックも見たかったのですが)こんな試合はこれ以来今だ見る事ができません。決着が着いた後、PSVの選手達は肩を落として退場しましたが ”ファンブロイケレン” だけは呆然として立ちすくんでいたのをいまでも思い出せます。あとでビデオか何かで知ったのですが涙を流していたのでした。勝負事ですからどちらかが勝ち、どちらかが負けるのはしかたのないことですが観客、観衆として胸が痛むのはわたしだけでしょうか。まさに ”プロの集団が意地とプライド”の戦いでした。又初めてチャンピオンズカップを制した誇りを賭けた戦いでした。余談ではありますがかつての ”クライフ”時代、 ”フリット”時代とは違いワールドクラスのプレーヤーが居ますが今ひとつ強烈な個性とパワーが乏しく感じられる小粒な印象のPSV・アイントホーフェンではありますが、今だかつてない熱戦、接戦を披露してくれました。 ところで、これは何年か前に聞いた話ですがワールドカップで世界一を目指す戦いは祖国の「名誉」のためのサッカーであり、トヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)で世界一を目指す戦いは「生活」のためのサッカーであるとされていました。なかなかおもしろい表現だなとそのときは感じましたがよくよく考えると複雑な面持ちです。まれに所属クラブチームでは素晴らしい活躍をする選手が代表チームでは芳しくない姿をめにしますが原因はコンディションなのでしょうか先の例なのでしょうか。世界一決定戦に出場する選手は熱烈な声援を送る多数のファンのためにもたとえ負けたとしてもPSV・アイントホーフェン VS ナシオナル・モンテビデオのような戦いを望みます。読者の皆様は、どのように感じますか?私自身がたとえどんな試合であっても一度ピッチに立てば負けたくありませんし、だれたプレーはしません。(どうしても調子が悪ければ交代します)先の話は解説者のちょっと気取った、ちょっと視線をずらした一つの意見であることを望みます。
2000年10月号記事
◆韓国プロサッカーリーグ K -LEAGUE◆
欧州や、中南米だけがサッカーではない!これが当メルマガのポリシー。日本が更に強くなるには強剛、韓国との熱い戦いが絶対に必要。それがアジアサッカーの向上にも役立つのです。さて今回も韓国通信をお伝えしていきます。1983年メキシコで開かれた世界青少年サッカー大会で韓国の幼い英雄らは世界サッカーの強国を退け、4位を占め,韓国サッカーのすごい力を見せてくれました。 また、韓国代表チームは1986年から4回連続にワールドカップに進出するなどしてアジア最多のワールドカップの本選進出国になったのは勿論、世界水準に近接した韓国サッカーの優秀性を世界の全てのサッカーファンに見せつけたのでした。1983年アジアで最初に船出したプロリーグ、それが韓国プロサッカーリーグであるKリーグなのです。韓国のサッカーファンに大きな楽しみをあたえ、韓国サッカーの水準を更に一段引き上げたばかりでなく、周辺のアジア諸国にプロサッカーリーグ創設の刺激を充分に与える結果となったのです。5つのチームではじまった韓国プロサッカーリーグですが2000年現在、その倍となる10チームで構成、運営されているのです。リーグ名は韓国の英語標記名コリアの頭文字をとってK-リーグと呼ばれています。1996年から3年間アジアのクラブ選手権優勝を韓国プロチームが占めるほど韓国プロサッカーの水準はアジア最強の座を占めているのです。韓国全国民の溢れるサッカー愛と選手達の漲る闘志、そして世界へ向けて絶えず挑戦し続ける韓国サッカー界。輝く歴史を成し遂げる原動力となっている韓国Kリーグですが、これから、更に韓国サッカーの歴史を創造し、国民に喜びを与えることは間違いありません。
= 全チーム紹介 =
スウォン・サムソン ブルーウィングス(水原・三星)
ウルサン・ヒョンデ ホランイ(蔚山)
ポハン スティーラーズ(浦項)
チョンナム ドラゴンズ(全南)
プサン・アイコンス(釜山)
チョンブッ・ヒョンデ ダイノス(全北・現代)
プチョンSK(富川)
アニャン LG・チータース(安養)
テジョン シチズン(大田)
ソンナム・イルファ チョンマ(城南・一和・天馬)
2000年10月号記事
◆ヨーロッパでプレーする日本人プレーヤーは◆
ヨーロッパ各国の2000/2001シーズンが開幕しています。昨シーズン3人だったヨーロッパでの日本人プレーヤーも、セリエAのASローマに在籍する中田ただ一人になってしまいました。他の2人(城、名波)はJリーグの古巣のチームに戻って来ました。唯一残った中田も外国人3人枠とポディション争いから開幕戦はベンチに入れずスタンドからの観戦。プレーヤーにとって、いくら高額な年報や契約金でビッククラブに在籍していても不動のレギュラーでプレーしなければ試合の感覚は薄れるというもの。またまた個人的な意見で申し訳ないのですがドイツファンの私は9年前にローマに行った際、1990年イタリアワールドカップ優勝当時の旧西ドイツチームのメンバーがセリエAに多数在籍していて、私のお気に入りルディ・フェラー(現ドイツナショナルチーム監督)は代表でチームメートのトーマス・ヘスラーと共にASローマに在籍していました。ただしシーズンオフの為試合は無く、背番号 ”9”のユニフォームを3着購入して来ました。ワインレッドにスポンサーであるパスタメーカーの名前が入っていますよね。現在日本でイタリア料理店を経営している私の友人は、ローマでの修行時代からラッツイオの大ファン。彼はその大好きなチームの為、そしてファンとしてのプライドのため、そのパスタメーカの食材をどうしても使えなかったのです。帰国し、お店を経営する今でも一切使っていないと先日聞き、さすがの私も愕然とした次第です。(しかし現在のスポンサーは既に違っていますので念のため。)そんなレベルの高いチームに中田がペルージャから移籍してきたのには正直驚きでした。代表選手が殆どいないペルージャでの中田は主力選手というよりは ”好き勝手”にプレーさせてもらっていたというイメージが強かったのですが、各国の代表が控えに回っているビッククラブで大丈夫なのかという思いがありました。最初は無難にプレーしていたものの次第にフル出場が少なくなり控えに回る事が多くなりました。いまでもなぜ?と感じているのですが、ペルージャの会長のビジネスにまんまと利用されたようでなりません。彗星のように現れたアジアのプレーヤー。ノーマークだったチームにいる選手が移籍初年度の開幕戦でなんと強豪相手に2ゴール。こんな選手他のチームが指をくわえて見ている訳ありません。でもそこはビジネスで他のチームは今のうちに安くと、一方のペルージャは少しでも高くと水面下での交渉が続きシーズン途中でローマへ移籍されたのは皆さんよく御存じの事です。しかし最近聞いた話では、その放出したはずのペルージャでは中田復帰へ向けての交渉やペルージャファンの署名運動などが起きてるとの事なのです。中田としては嬉しい事?!でしょうが今後はどうなるかは全くの未知数。ぺールージャは日本の中村俊介や韓国、中国などのアジアのスタープレーヤーを積極的に獲得する意向のようなのです。中田で味をしめたペルージャ会長が再びビッグビジネスをしかけているとの憶測をよんでいるのです。中田に関しては、私個人としてはパルマに移籍して元ガンバ大阪に在籍していたカメルーン代表のエムボマとのホットラインを形成するのもなかなか面白いかと考えているのですが・・・。(笑)何処に所属するにせよ90分フル出場で活躍できる場が選手にとっては一番良い事の様に思えます。私だけでなく、ファンは早くフィールドで90分フルに動く中田を見たいと願っている筈なのです。もうしばらくこのイライラが続くかもしれません!?
2000年10月号記事
◆イタリアカルチョ通信 「ロベルト・バッジオ」◆
さて皆さん御存じのようにセリエAが開幕しましたね。今年はシドニーオリンピックが開催されイタリアでも大盛上り。特に水泳とバレーボールには国民誰もが釘付けとなりました。そして日本。サッカー代表は惜敗しましたが、その力を世界へ見せつけましたね。中田以外の日本人選手の試合をイタリアで観る事はまずあり得ませんが、私が想像していた日本チームの印象はそう高いものではありませんでしたし、又イタリアで報道される日本チームから受ける印象は、やはりそう高いものではありませんでしたが、実際の日本チームは非常に力のあるチームだという印象を持ちました。しかし残念ながらやはり積み重ねた経験がやや足らない部分もあり、それを解決すればいずれ世界でも強剛の国になると感じました。もちろん一朝一夕に出来る事ではありませんが、2002年に向けて確実にレベルアップしていくでしょう。そのオリンピックの陰に隠れてとは言いませんが、例年より何となくひっそりと開幕したイタリア、セリエAという雰囲気でした。各ルマガでの情報もありますので、当メルマガではあえて取り上げません。今回お伝えするのは、日本では全く話題になっていなく、且つイタリア国内ではかなり大きく報道されているロベルト・バッジオ選手についてお届けします。ロベルト・バッジオ選手はサッカーファンなら誰でも知っている世界のスーパースター、イタリアだけでなく世界のスーパースターなのです。今回彼はJOMO CUPのゲストプレーヤーとして訪日し、又活躍もした事は日本の皆さんの記憶に新しい事と思います。ただしイタリアで話題になっているのはJOMO CUPに参加したロベルト・バッジオ選手の話題ではありません。信心深く、そして子供達のため、サッカーを愛する人たちのために尽くすロベルト・バッジオ選手の話題なのです。日本は特に宗教の話はタブー視される傾向が強く、また無宗教を名乗る方が多いと聞いています。しかしここイタリアでは、特にローマではバチカンのお膝元、宗教の話題なしでは、お日さまも上らなければ、暮れもしないくらい身近かな話題なのです。そんなお国柄のなかでも、ロベルト・バッジオ選手の信心深い事はイタリアでも特に有名な話。でもバッジオ選手が他の選手と違うのは彼がキリスト教の信者ではなく、アジアに多い仏教信者であるという事なのです。彼と彼の奥さんは共に日本の創価学会の熱烈な信者であり、又平和を愛する人間なのです。今回彼はゲストプレーヤーとして参加したJOMO CUPの特等席をサッカーを愛する日本の子供達のために招待し、又各学校へは、彼のサイン入りのサッカージャージーを何枚もプレゼントしたのです。イタリア国内ではこの話題が大きく取り上げられ、世界のサッカーファンのために尽くすバッジオ選手の行為は世界のスーパースターとしてとても素晴らしい事であると絶賛して伝えています。彼曰く、「勝ち負けだけが勝負の世界ではないが、苦しさを乗り越える強い精神力や忍耐力。そして本当の意味での優しさがなければ何ごとにも勝利する事は出来ない」と。サッカーがうまいだけの選手は世界中に沢山いますが、本物の世界のスーパースターはほんの一握りです。素晴らしい精神が宿っているという事が、サッカーだけでなく人間としての素晴らしさを醸し出しているのだと思います。さてセリエAは寒さが増すこれからが本番。気温と反比例するかのようにヒートアップしていくのです。次回皆様にお届けするのはサッカーと食文化について語ろうかなんて思ってはいますが、どうなることやら。イタリアサッカーも最高ですが、イタリアのパスタ。これはもう本当に最高です!!!次回をお楽しみに!!!ロ−マからのイタリアミニ通信をお届けしました。
2000年10月号記事
◆韓国サッカー通信 「車範根の懲戒と赦免」◆
車範根監督、1998年フランスで開かれたフランスワールドカップの途中、成績が悪いということで監督を辞めさせられた後、ある月刊雑誌とのインタビューで韓国のプロサッカー、K-Leagueで勝敗の操作があったと発言、大きな波紋を投げかけて韓国サッカ連盟から資格停止5年という懲戒を受けたのです。今年、車範根元監督は1年数ヶ月ぶりに赦免を受け、韓国国内での活動が可能になりました。韓国サッカー連盟は2000年1月14日ソウルのタワーホテルで開いた“99年サッカー人の日”の前に緊急記者会見を開き、車範根元監督の赦免を発表しました。連盟は懲戒期間(5年)の半ばも経ていない現段階での赦免は、通常であれば案件事項にもならないが2002年の日韓ワールドカップを前にして、韓国サッカー界の大同団結が必要だという長老らの意見をjmj会長が受け入れ、晴れて、車範根元監督は赦免された訳です。車範根元監督は1998年フランスワールドカップで対メキシコ戦(1−3)、対オランダ戦(0−5)で惨敗を喫した後、大会途中監督を辞められて98年7月中国プロサッカーチームの監督に就任する直前、ある月刊雑誌とのインタビューで一部のサッカー協会の委員を“蝿ども”と表現し、又韓国のプロサッカーチームの監督のあいだに八百長をして試合を操作しているという主旨の爆弾宣言をして大きな波紋を投げかけました。これに対し、韓国サッカー連盟はプロサッカー連盟の調査の結果、全くの事実無根だとして車範根元監督を資格停止5年という懲戒処分に下したのです。車範根元監督は昨年12月初旬、1年数ヶ月の間担当していた中国プロサッカチームの監督をやめて奥さんであるoemさんの病気の治療のためドイツのフランクフルトで家族と共に過ごしています。古いファンの方は御存じですが、車範根元監督はドイツのプロサッカー、レベクチェンチームで活躍したアジアのスーパースター、この時の同僚はもちろん、チームマネジャー、球団の関係者たちとは今でも良い関係を持続しており、懲戒赦免といっても、直ぐに韓国国内のサッカー界には帰らないだろうと言われています。仮に帰国しても小学校から中学校まで拡大された子供たちのためのサッカー教室に当分の間専念すると予想されているのです。2002年の日韓ワールドカップを前にしてその間築いて来たノウハウをもとにして韓国サッカーに役立つ役割をする可能性もあるかもしれません。韓国人サッカー選手として世界サッカー界にコネクションを持つ車範根元監督は2002年ワールドカップの広報役員として世界中を巡るという可能性もあるようです。昨年12月インターネットの某スポーツサイトで実施したアンケートで59%(493人)のファンが車範根元監督は子供たちの為のサッカー指導者として活躍して欲しいという意見がありました。又18%が日本のJ-Leagueの監督に、16%が海外での活躍に期待したいという、いずれも肯定的な意見が大勢を占めていました。しかしこのアンケートは赦免前に実施した調査の結果、赦免された現在は国内のプロチームの監督として戻ってきて欲しいと願うファンも多いと思われます。しかし、ドイツで一緒に生活し、現在一時帰国中の車範根元監督の娘であるハナ(HANA)さん(22歳、梨花女子大学社会体育学課 2年生)によれば“父は現在いずれの国でも監督をする意志はない”と発言、”冬になる前には、病気療養中の母のため、寒いドイツを離れてどこか暖かい所で過ごす予定”とも発言しています。車範根元監督は今も毎朝運動をし、暇な時間があればドイツの友人に会ったりしながら毎日穏やかに過ごしてるようです。又、元監督の長男であり、高麗大学で活躍するサッカー選手であるツリ(DURI)さんも昨年サッカの練習中に骨折。ドイツのフランクフルトの病院で治療を受けているようです。
2000年10月号記事
◆韓国サッカー通信 「韓国サッカーの足跡」◆
今回はコラムではなくて日本のライバル韓国サッカーの足跡のお勉強。己を高めるにはやはりライバルが必要。しかも弱い相手ではなく強い相手が。その強剛韓国サッカーの歴史を今回はお伝えします。いつでもアジア1、2の強い国であるために切磋琢磨。日本、韓国を共に応援しましょう!!!
・1897年英国艦船が仁川に入って乗務員らが宮内部参理と御殿と御前通訳官に サッカーの仕方を見せたとの記録がある。これらが大韓蹴球具楽部を組織、最初のサッカーチームで誕生 する。
・1920年7月13日90名位の有志らが朝鮮体育会を創立するとして韓国サッカーが本軌道にのる。
・国際競技に進出。1926年1月5日BAEJAEBOGOサッカーチームが日本大阪で行われた第8回全日本中等学校サッカー大会に韓国代表として出場、一回戦で御影師範チームに1対0と敗れた。
・1933年9月19日有志20余名が朝鮮蹴球協会を創立して地方別に散漫に乱立していたサッカー団体を統一させた。初代会長朴勝彬。
・1933年10月22−23両日間京城と平壌の定期対抗戦が平壌公設運動場で開かれ引き分けに終わる。
・1934年朝鮮総督部はサッカー開催権を統制しようとしたが、官署体育会の統制反対陳情で既得権を認められる
・1947年6月19日大韓サッカー協会が世界サッカー連盟(FIFA)に正式に加入、オリンピック参加資格を得る。
・1948年7月29〜8月14日ロンドンオリンピック(14回)出戦。1回でメキシコを5対3に押さえて世界のサッカー専門家らを驚かせた。2回戦でスウェーデン(優勝)に12;0(62個のシュート)で惨敗する。
・1954年アジアサッカー連盟(AFC)に加入。
・1954年6月16〜7月4日、第5回スイスワールドカップに初出戦。日本を5対1、2対2で下す。しかしハンガリーに9対0、トルコに7対0で敗れる。
・1964年18回東京オリンピックに出戦、アラブ共和国に10対0、チェコに6対1、ブラジルに6対0と敗け
・1968年メキシコのオリンピック予選 韓国:日本(3対3)、韓国:フィリピン(7対0)、日本:フィリピン (15対0)、ゴール得失差によって日本が本選に進出。日本は銅メダルを獲得(アジア最初の上位入賞を果たす)。
・1980年3月22日〜4月6日モスクワーオリンピック予選(マレーシア)、マレーシアに2対1と敗れ脱落。
・1988年6月フランスのワールドカップ本選に出戦(86メキシコ、90イタリアワールドカップに次いで連続4回本選進出。54年スイスワールドカップまで5回進出)。
・1994年6月米国ワールドカップ本選に出戦。
・ワールドカップ初得点-86メキシコ。 アルゼンチンに(3:1敗れる)後半27分ParkChangSun 30Mのシュートを決める。
・韓国国際試合最多ゴールを奪われ敗れる−1948年対スウェーデン戦。12:0韓国(ロンドンのオリンピック初出場)
・ワールドカップ本選総14戦 4引き分け 10敗 得点11 失点43。
2000年10月号記事
◆トヨタカップで魅せたオランダサッカー◆
日本で見る事の出来たオランダサッカーといえば何といってもトヨタカップですね。トヨタカップを戦ったオランダチームでは”アイントホーフェン”、”アヤックス”がありますが.今回は連覇を目指し二度目に来日した”ACミラン”の思い出を書いてみたいと思います。’90年の試合でした。’89年では実現しなかったオランダトリオが揃うとの前評判で今までになく楽しみにしていた記憶があります。ワールドカップで爆発するチャンスなく終わってしまい.スランプとも思えるような状態のオランダトリオに対し南米からは後に横浜フリューゲルスで活躍したアマリージャ(このときは予想もしませんでしたが)とサマニエゴを中心に南米らしからぬ基本に忠実なサッカーをするパラグアイから”オリンピア”。私の個人予想では8割がたオリンピアかなと思っていましたが、その前半を見る限りではオランダトへもってマルディーニの負傷退場でまたオランダトリオは爆発せずに終わるのかと思っていたわけです。しかしサッカー、いやスポーツとはとはわからないものです。前半終了が近づく頃フリット(私はこの読み方の方が親しみあります)の左サイドからのフェイント直後の折り返しをライカールトが頭で叩き先制のゴール、そしてハーフタイムへ。後半はムードが変わったのか突如変身したACミランのほぼワンサイドゲームとなったのです。自由にボールをまわし.攻撃のチャンスを待ち.ファンバステンが突破の起点となりオリンピアを圧倒し、又翻弄してしまいました。ライカールトの堅実なプレー.フリットのダイナミックで迫力あるプレー.ファンバステンの優雅でありながらスピードときれのあるプレー。これが噂に高いオランダトリオなのだと画面にくぎ付けになってしまいました。なかでもファンバステンのスタイルはかつてのヨハンクライフがゴール前に進入する際の姿を彷彿とさせるものがありました。オランダサッカーの魅了とは ”優雅” ”スピード””テクニック” ”ダイナミック” ”堅実” ”繊細” を高い次元でミックスしたところにあると私は感じてます。それだけにどれか一つでも欠けたときのもろさはありますが.かみ合う瞬間を待つ!!!これが一つのおもしろさではないでしょうか。オリンピア戦では最初の一点を取った瞬間が正にこれら全てがかみ合っての瞬間だったのではないでしょうか。この試合.結果は 3:0 でACミランが勝ちました。アマリージャ、サマニエゴの強烈なシュート等々見応えのあるサッカーでした。日本でこのようなハイレベルのワールドクラスのサッカーが見れ、そしてオランダ選手の不思議な魅力に直接触れることのできた私たちは幸せですね。又.毎年様々な国から様々なチームが来日してそれぞれのチームカラーを見れる楽しみはこれから先もずっとずっと続くことをねがってやみません
2000年10月号記事
◆オリンピック男子サッカー 決勝戦、3位決定戦◆
エムボマは日本を去って良かったなあとファンとしては思うべきでしょうか。ガンバ在籍中は我侭し放題だった彼もセリエへ行き、思い通りにならない日々ですっかり変わって(もちろん良い方向へ)しまいました。今シーズンのパルマでの彼のプレーが楽しみになってきました。そのエムボマを擁するカメルーンが優勝候補とも言われたチリを敗り、決勝へ。またスペイン勝戦はもちろん楽しみなのですが、心待ちにしているのが米国の3位決定戦での戦い。さすがに26日の準決勝では格の違い、否歴史の違いを見せつけられた格好ですが、米国のサッカー界での新たな歴史の幕が開けるか非常に楽しみにしています。しかしこのオリンピックのお陰で米国内では影が更に薄くなっているのが米国メジャーリーグサッカー(MLS)です。アメリカ4大プロスポーツの歴史と人気は絶大で、今ひとつ盛りあがらないMLSではありますが米国の躍進を影で支えるのがこの米国プロサッカーリーグなのであります。今MLSはプレーオフの最中。スポーツアイESPNでは9月30日5時よりプレーオフ準々決勝の模様を放送予定のようです。ぜひ一度ご覧になってみませんか。なかなか面白いですよ!!!さてオリンピックサッカーもいよいよ、ファイナル。最終のスケジュールとなってしまいました。皆さんは一体どこを応援しているのでしょうか?スペイン?それともカメルーン?!いずれにしても面白い戦いになること間違いなしです。
2000年10月号記事
◆メキシコ通信 「オリンピック」◆
ここメキシコでは日本の情報で頼りになる唯一のものが、NHK国際放送なのです。しかし放送権利の関係で、やはりニュ−スも含めオリンピック競技の動画の放送は一切できないため、残念ながら日本関係のオリンピック情報はニュースのみで知ることとなります。見るとすれば専らメキシコ国内放送を通じてオリンピックを見るより仕方がありません。ところが幸いなことに、週末はメキシコのTVで高橋のマラソンの素晴らしい戦いを、そして優賞と表彰式も見ることができました。優勝の瞬間の感動はもう最高!これは日本にいる方には分からないと思うのですが、紅白歌合戦も、こういう日本関係のスポーツ番組も異国での暮しが長くなると、ふっとした瞬間、懐かしくなったり、慰めてくれたりで本当にこの地で日本人の感動を味わえた今回のマラソンには感謝しました。さて、問題のサッカー。遂にメキシコでは日本代表の動く姿はただの一度も見れませんでした。これがニュースであっても、ほんの一瞬であっても見れれば問題ないのですが、アナウンサーの声と観衆の声だけあるニュースを見るのは蛇の生殺しと同様。非常にストレスを感じました。話題は代わってメキシコのサッカーのプロ・リーグも動き出しました。先日もこのうちの一つであるプロチームであるPUMASの店に子供を連れて行ってみました。店内にはチ−ムのロゴの入ったキ−・ホルダ−、ペナント、栓抜き、ボ−ル・ペン、オフィシャル・ガイド・ブック、その他ユニフォ−ムのレプリカ等を販売をしていました。サッカー熱の高いここメキシコでは大人も子供も入り交じって混雑していました。皆様から時々お問い合わせ頂くのですがメキシコ選手のコレクタ−用のカ−ドの類はありません。マリーン社やパニーニ社の欧州選手のカードは有名でが、コレクターの方も沢山いらっしゃいますが、残念ながらメキシコ人気質に合わないのか、メキシコでは一般的ではありません。その代わりプロレスのフィギュア(人形)とかは、本当に屋台とかでも売っていて、皆が買っていくのです。お国柄なんでしょうかね!?
2000年9月号記事
◆日本イレブン、オリンピックサッカーに幕◆
シドニーオリンピックの日程もあっという間に折り返しとなりました。私個人の興味があった競技は競泳。金メダルこそ無かったもののアトランタの汚名を晴らすメダル獲得数。でもこのメダルはすべて女子の種目。日本男児よ、頑張れ!(爆笑)それとマラソン。やはり女性のパワーは凄いですね。高橋選手の何か楽しんでいるようなあの姿がとても印象的で素敵でした。金メダル獲得心よりおめでとうございました。さてちょっと余談ですが、ドイツ好きの私には競泳での強烈な思い出が一つありさてちょっと余談ですが、それは今では国際大会であたり前になった各競技のスタートのブザー。でも昔は号砲でしたよね。(小学生の時の運動会でのあのピストル。懐かしい!!!)このスタート時に初めてブザーを使ったオリンピックっていつのどの大会だったかご存知でしょうか?そうそれはあのベッケンバウアー率いるドイツが地元開催のワールドカップで優勝した1974年の2年前、1972年のミュンヘン大会が最初だったのです。この大会は日本人が2つの金メダル(男子100M平泳ぎの田口選手と女子100Mバタフライの青木選手)と1つの銅メダル(男子200M平泳ぎの田口選手....う〜ん名前聞くだけで懐かしい!)合計3つのメダル獲得。でも予選は各国選手とも初めて採用されたスタート時のブザーにタイミングが合わず苦労していたようです。現在のブザーよりも拍子抜けするような「プーー」という音で、さあこれから気合を入れて!とスタートを待つ選手にはなんとなく合わない音でした。ちょっと話がずれてしまいました。(失礼)さて23日、日本サッカーはアメリカとの準々決勝に登場。ゲームは日本が一点を取ればアメリカが追いつくという見てるものにとってはなんとなくスリルなゲーム展開でもあり、また嫌な展開。後半終了間際の反則でアメリカに痛いPKを与え得点され延長でも決着がつかずPK戦へ。4人目の中田が狙いすぎたのか左のポストに当たって失敗。アメリカは5人とも成功して日本は敗退。”シドニーオリンピックでシドニーに行けなかったイレブン”となってしまいました。あくまでも個人的な意見ですが、今回予選リーグからの試合を見ていて思ったのは中田英寿の調子。どうも初戦の南アフリカ戦からおかしいように思ったのは私だけでしょうか?いつもは冷静なプレーを見せる中田が南アフリカの選手にボールを奪われた直後に、取返そうと不用意な反則をしたり、スロバキア戦でも反則を犯し累積でブラジル戦に出場できず。マークは厳しかったとはいえいつもの中田はどうしたのって感じ。パスにも精彩が無く、この試合も何本かシュートを放つもゴールマウスを脅かすものはなく逆にあたりそこないのとんでもない方向に。またアメリカ戦で初ゴールをあげた柳沢も本来のFWの役目を果たしていたのか?特にマークされている訳でもないのにパスを出す役目に回り思い切った突破も無く見ていても不満が残りました。テレビでは比較的柳沢のプレーを評価している解説者もいましたが、予選で2得点をあげた高原にマークが行く分もっとどん欲にシュートを打っていった方が良かったのではないでしょうか?そうすればアメリカのDFが警戒して来るすきに別な選手にスペースが生まれると考えたのですが・・・。でもJリーグが始まってまだ7年。短期間でレベルは着実に上がっています。でも選手個人の勝負へのこだわりはまだまだ足りないような気がします。レベル的には勝てた相手。ただ勝負へのこだわりといった点では、アメリカの方がはるかに上だったように感じます。逆にDFの西澤、GKの楢崎はきっちりとした仕事をしたと思います。2年後の日韓ワールドカップに期待しましょう。何せオリンピックには力を入れていない国やワールドカップ予選に重点を置く国もまだまだ多くあります。ガンパレ!ニッポン! ガンパレ!韓国!2002年ワールドカップ成功のためにGO!GO!GO!
2000年9月号記事
◆アジア最強国の一つ韓国サッカーの歩み◆
いよいよ今回より韓国直輸入の韓国通信のスタートです。昨日の韓国の戦いは素晴らしいものいがありました。しかし涙の予選敗退。残念でした。そこで、日本ではなかなか触れることが少ないホットな韓国サッカー情報を今日から満載していきます。歴史のお勉強から現在のプロサッカーリーグ(Kリーグ)までその時々の話題をお伝えして参ります。韓国に英国式のサッカーが導入されたのは1882年6月(高宗19年)英国の軍艦のプラインフィシー号が仁川港に停泊した時と伝えられています。サッカーの体系的な普及は1904年4月官立の外国語学校で体育の一種目に採択してから。韓国の最初のサッカーゲームは1906年3月大韓体育具楽部と黄城のキリスト青年会が最初でした。そして本格的に韓国サッカーのスタイルが定着されたのは1920年代にきてからなのです。1921年2月第1回全朝鮮のサッカー大会を開催したことが全国の体育大会の母体となりました。韓国では有名なキョンピョンのサッカー対抗戦は1933年10月に始まりました。その後、韓国サッカーは発展を重ねてアジアトップクラスの座を守ってきたし、2002年ワールドカップを共催するまでに至った訳です。そして過去のワールドカップ本選5回連続出戦(総6回出戦)するなど、アジア最高の記録を持ち、韓国国民の自慢に値する栄光を掴んだのです。こうした韓国サッカーの強さはどこにあり、どんなシステムで作られているのかを調べるために1980年初頭アジアサッカー連盟(AFC)から調査団が派遣されたことが有りました。しかし、AFCは韓国サッカーの強さの理由が一つも解明出来なかったのです。芝生の競技場は、貧弱なうえに、冬が長くて練習も充分出来ない日も多く、選手たちは兵役の義務を果たさねばならない等(兵役義務は現在も維持されています)、逆に韓国サッカーの弱い部分、つまりこれを改善出来れば更に強くなる理由を探して報告したというのです。冬はかなりの寒さとなる土地柄で韓国サッカーが花を咲かせる。これは選手の努力だけでなく、裏方となる指導者やあらゆる人たちの支えがなくては実現しなかったことでしょう。
2000年9月号記事
◆セリエA空前のトレード戦争とアジア人選手たち◆
Rマドリッドからレドンド、ヴァレンシアからロぺス、コヴェントリーからキーンなど他国リーグからのトレードやバティストゥータなどのリーグ内のトレードまで今年のセリエAのトレードは史上空前の戦いが繰り広げられているのです。でもそんな情報は通の皆さんのこと、もう何回も雑誌や他のメルマガでも目にされていることと思います。今回はちょっと目先を変えた話題をお届けします。中国のマミンウィ選手がぺルージャ入団!実はセリエAにアジアのスター選手たちが集結しているのです。韓国、中国、そして日本のアジアサッカー3強の看板スターがイタリアのプロサッカーリーグ、セリエAで活躍することになりました。中国代表チームの主将として7月28日、韓・中定期戦(韓国1:0)にも出場したミッドフィルダーのマミンウィ選手(30.スチャン チェンシン)がペルージャと入団契約を行ったのです。韓国のスター釜山のアンヂョンファン(24)選手がペルージャのユニホームに袖を通してからわずか2週間後のことでした。ポジションが同じ、この韓国のアンヂョンファンと中国のマミンウィはイタリア移籍の喜びも束の間、チーム内での競争を余儀なくされたわけです。二人は名門ASローマで既に活躍中の日本サッカーの英雄中田(23)選手とともにアジア3ヶ国の名誉をかけて激突すると韓国、中国では大々的に報道されています。さてこの3選手、体格が五分五分で、韓国、中国、日本のサッカーの英雄でセリエAに乗り込んだ訳ですが、偶然?!にもそのスタートはペルージャという共通点を持っているのです。しかしアンヂョンファン、中田、マミンウィの今のセリエAでの地位は御存じのように全く異なるものとなっています。一番はじめにセリエAに移籍したのは中田。今年初め移籍料18億円、年棒2億4000万円でペルージャからASローマへ移籍。すでにトップクラスの選手として地位を確率しています。これに対しアンヂョンファンとマミンウィはこれからがスタート。プロとしての評価はやはりお金。お金だけで比較すればレンタル料40万ドル、年棒45万ドル(手当て含め)、1年後移籍料210万ドルという条件でサインしたのが韓国のアンヂョンファン選手。この条件はマミンウィ選手よりかなり上回っているようです。年令が30才にさしかかったマミンウィは最後の選手生命をかけてのセリエA、ペルージャ行きを決断。契約時にはその分、相当不利益を甘受したとの噂なのです。ペルージャ側は彼の正確な入団条件は明らかにしていませんが、中国のマスコミ関係者によれば移籍料なし、年棒30万ドル位であろうと推定しているのです。ところでマミンウィの入団に先立ってイランの国家代表チーム出身のアルり・カリミドがペルージャのキャンプに合流したという報道があり、ペルージャではこれでアジア圏出身の選手が3名となり、しかもこの3選手がポジションで競合することになるのですから大変!!!サッカー後進国と言われたアジアですが、中田選手を筆頭にこれら3選手もセリエAでの一流選手として頑張って欲しいと切に願うのは我々アジアのサッカーファンとして当たり前のことだと思います。最後に、中田選手は度々報道されているようにセリエAの別のチームからもオファーがあり、移籍するのでは?という記事や、フランスからも`LOVE CALL`が殺到しているとのこと。2000〜2001シーズンを前に移籍する可能性も捨て切れません。いずれにしても我々ファンとしては今以上の更なる活躍を願って応援していきたいと思っています。